大陸から飛来するPM2.5に含まれる重金属成分の挙動〜レーザーイオン化質量分析計による個別粒子分析〜

 

1.大陸から飛来するPM2.5エアロゾルの計測

大気中に液体並びに固体の状態で浮遊している粒子を、大気エアロゾルと呼ぶ。大気中で最も発生量の多いエアロゾルは、風などによって巻き上げられた土壌粒子(鉱物エアロゾル)と、海面で生じる気泡が破裂して生成する海塩粒子である。またエアロゾルは、産業活動による塵、化石燃料などからの元素状炭素並びにバイオマス燃焼などからの有機炭素など、人間活動によっても大気中に供給されている。これらのエアロゾル粒子には、大気汚染物質やウィルスなども含まれており、人体に悪影響を及ぼし、地球の温暖化・冷却化にも関与し、また不均一反応を起こして大気環境に大きな影響を与えている。

経済的発展により東アジア地域では、人為起源のガス状および粒子状汚染物質(大気エアロゾル)が増加している。これらの汚染物質は冬季から春季にかけて、季節風により中国大陸から東シナ海沿岸域に輸送され、わが国への影響が増大している。たとえば、空気が清浄とされる長崎県五島列島でも光化学オキシダントが発生し、また沖縄県本島でも水銀の濃度が上昇している。

テキスト ボックス:  
図1 季節風による粒子状物質の長距離輸送

韓国や日本に中国大陸工業地域からの大気汚染物質が越境輸送されている。黄砂の飛来時においては、土壌起源を持つ金属元素のみならず、鉛やカドミウムなどが高濃度になる。中国大陸起源の気塊における粒子状汚染物質は主に粒子状硫酸塩や有機物からなり、発がん性物質である多環芳香族類(PAH)も含まれている。エアロゾルの健康への影響に関して、米国EPA報告書によると、PM2.5(大気中を浮遊する粒子径2.5μm以下の微粒子)の暴露が、呼吸器系疾患、心肺の疾患、早死の増加と関連がある。わが国でも、環境省有識者検討会は「総体として健康に一定の影響を与えている」と報告している。

そこで本研究では、特に人体の健康に影響があると考えられる金属成分やPAHを含む粒子状物質を研究対象として、春季において東シナ海沿岸に位置する長崎県福江島の大気環境観測施設において地上観測を行い、単一粒子毎にその大きさと化学組成を分析する。今後のわが国における越境汚染対策や人の健康に与える影響を評価するため、できるだけ早くから基礎的なデータを蓄積しておくことは重要である。

これまでの多くの大気エアロゾルの成分分析では、大気をフィルターを通して吸引することによりフィルター上にエアロゾルを収集し、その後、研究室に持ち帰り分析していた。そのため、サンプリングの最中や輸送中、または保存中に化学変化等を起こすなどしてオリジナル試料にならない例がある。たとえば、不安定な有機化合物などである。申請者らが独自に開発したレーザーイオン化個別粒子質量分析装置では、浮遊しているエアロゾルを直接分析することができるためこれらの問題を回避できる。また、従来の方法では、比較的長いサンプリング時間を必要とするので、短時間の大気中の化学的な変動を追いかけることができない問題があったが、本装置ではその場でのリアルタイム分析が行えるため、従来型の長時間のフィルター捕集法による分析法では見えなかった輸送イベント毎、気象条件毎の変化をリアルタイムで調べることができる。粒子状汚染物質の長距離輸送を対象として、春季において東シナ海沿岸に位置する長崎県福江島大気環境観測施設(図2)において地上観測を行い、単一粒子毎にその大きさと化学組成を分析した。

 

テキスト ボックス:    
図2 福江島大気環境施設の位置   図3 観測に用いるレーザーイオン化個別粒子質量分析装置の外観

 

2.装置及び実験

我々の研究グループでは、単一エアロゾル粒子のサイズと化学成分を実時間で同時に測定するレーザーイオン化個別粒子質量分析計を開した。装置の原理について説明する。レーザーイオン化個別粒子質量分析計は、一つ一つのエアロゾル粒子に高い強度のレーザー光を照射して粒子を気化・イオン化し、生成したイオンを質量分離して粒子の化学成分を測定する装置である(図4)。この装置は、粒子の真空導入部、粒子の検出と粒子径測定部、粒子の気化・イオン化部、質量分析部、および信号処理部から構成される。粒子は、エアロダイナミックレンズにより空気動力学的に細い粒子ビームに収束され、差動排気を経てイオン化部に導入される。イオン化部で粒子ビームは連続発射の検出用レーザー光(Nd:YAGレーザーの第二高調波、532 nm)と交差し、その結果生じる散乱光から粒子径が決定される。また、散乱光の強度が一定の閾値を超えたとき、散乱光の信号はイオン化レーザーのトリガーとなる。粒子検出後、パルスのイオン化レーザー光(KrFエキシマレーザー、248 nm)が瞬時に(1.8 μs)粒子に発射され、粒子はイオン化する。生成したイオンは飛行時間型質量分析計により測定される。イオン化部と質量分析部の電圧の極性を変えることにより、正・負イオン両方の質量スペクトルを取得できる。

本装置を図2に示す長崎県福江島(北緯32°75’、東経128°68’)にある福江島大気環境観測施設に設置し、春季に大気エアロゾル観測を実施した。観測に用いたレーザーイオン化個別粒子質量分析装置の写真を図3に示す。これは、実際に2010年3月に長崎県福江島の福江島大気環境観測施設に装置を設置した際に撮った写真である。

 

テキスト ボックス:   
図4 レーザーイオン化個別粒子質量分析計の粒子導入部と検出・イオン化部(左図)と飛行時間型質量分析計(右図)

3.春季の計測結果

春季に福江島に飛来するエアロゾルの粒子毎にその大きさと化学組成を分析した。正イオンスペクトル 45,989個と負イオン 44,554個がこの間に計測された。427日の黄砂飛来時に観測された単一エアロゾル粒子の負イオン質量スペクトルには、土壌由来の成分(SiO2-, SiO3-, Si2O2-)含む質量スペクトルが多く得られた。黄砂時に観測された土壌由来成分を含む典型的な単一粒子の負イオン質量スペクトル図5に示す。

 

 

テキスト ボックス:   
図5 4月27日にTOFMS で得られたエアロゾルの負イオン質量スペクトル、(左) 黄砂イベント時のダスト・エアロゾル、(右)汚染起源と推測されるエアロゾル

土壌成分の他に硝酸塩などスペクトルが存在しており、黄砂粒子が中国内陸の砂漠地帯から福江島に飛来する途中で、大気汚染物質である窒素酸化物を吸着していることが、単一粒子レベルでも明確である。さらに、有害金属である成分に注目して解析を行った。一つの粒子に含まれるPb+(m/Z=206,207,208)の信号を含む個別粒子の質量スペクトルの一例を図5()に示す。このスペクトルにはハンダなどに含まれるSn+などが含まれているため産業廃棄物燃焼によって放出された成分であると推測される。この他にも土壌起源、石炭燃焼起源、有鉛燃料燃焼起源と推測される質量スペクトルが測定された。

個別粒子の陽イオン質量スペクトルの解析により、多環芳香族(PAH)分子が含まれるものを検出した。炭素のクラスターCn(n = 1-12程度)が観測され、ススなどの黒鉛成分が推定される。また同じ粒子に鉛(Pb)が存在することも観測された。これらのことから、多環芳香族分子を含む粒子の起源が、石炭の燃焼で生成する粒子であることが推定できる。

 

 

4.冬季の計測結果

単一エアロゾル粒子のサイズと化学成分を実時間で同時に測定するレーザー蒸発イオン化質量分析計(TOFMS)で粒子状汚染物質の長距離輸送を対象として観測を行った。東シナ海沿岸に位置する長崎県福江島大気環境観測施設において地上観測を行い、春季に引き続き冬季に、単一粒子毎にその大きさと化学組成を計測した。冬季に得られた結果と春季に得られた結果を比較解析した。

開発したレーザー蒸発イオン化個別粒子質量分析計は、一つ一つのエアロゾル粒子に高い強度のレーザー光を照射して粒子を気化・イオン化し、生成したイオンを質量分離して粒子の化学成分を測定する装置である。125日〜17日の計測により、32,000個の粒子の正イオンスペクトルおよび負イオンスペクトルが得られた。後方流跡線解析などから、11 日は主に大陸性気塊が、1314 日は主に海洋性気塊が到達していた。負イオンスペクトルにおいて検出頻度の高かったCl-HSO4-NO2-NaCl2- を含む粒子個数の時間変化と全負イオン粒子個数の時間変化を調べた。12 7 0:00 から12 15 0:00 までに観測されたCl-HSO4-NO2-NaCl2- を含む粒子個数はそれぞれ、17,229 (89%)13,667 (70%)18,720 (96%)4,180 (21%)であった。1213-14日の海洋性の気塊が来た際には観測粒子数が大きく減少している。春季には、Cl-HSO4-NO2-NaCl2- を含む粒子個数が大陸からエアロゾル飛来期間に相対的に減少していたが、そのような傾向は冬季では顕著でなかった。また、春季にCl-HSO4-NO2-NaCl2-を含む粒子個数の割合は、48%47%61%9%であったが、冬季は各々、89%70%96%21%と大幅に増加した。

さらに、有害金属である成分(Pb+)に注目して解析を行った。Pb+ m/Z=206, 207, 208)の信号を含む個別粒子の質量スペクトルが得られた。冬季および春季でほぼ同じ成分を持った粒子成分を持つスペクトルが得られている。24,643 個の正イオンスペクトルのうち657 個の粒子にPb が含まれていた。鉛を含む質量スペクトル数の割合は約2.6 %であった。春季(4/13 - 4/29)に同様の観測を行った際には、約2.4 %の粒子に鉛が含まれていたので両者に顕著な差はない。12 11 日頃に多くの粒子が観測され、13,14 日頃は少なかったことがわかる。後方流跡線解析などから、11 日は主に大陸性気塊が、1314 日は主に海洋性気塊が到達していた。

鉛を含む粒子についてその起源推定のため、実験室内において鉛を含む物質であるはんだと石炭を加熱・燃焼させ、その際に生じる粒子の質量スペクトルを観測に用いたのと同じレーザー蒸発イオン化質量分析計を用いて測定した。はんだと石炭を各々ガスバーナーで加熱・燃焼させたときに発生した粒子のうち鉛を含む粒子を平均した正イオンスペクトルを実験的に取得した。石炭燃焼フライアッシュの場合、鉛(Pb)の他にナトリウム(Na)、カリウム(K)、鉄(Fe)、亜鉛(Zn)が特徴的なスペクトルが得られた。一方、ハンダ加熱の場合、錫(Sn)が強い信号強度を示す事がわかった。図5 の福江島で実際に得られた質量スペクトルにみられる亜鉛(Zn)、錫(Sn)は、石炭燃焼やはんだを含む産業廃棄物燃焼由来であると推定できる。このことは、大陸での廃棄物燃焼炉や石炭燃焼から生成したエアロゾルが飛来していることを示唆する。

 

 

以上